2014年2月27日木曜日

長井市倫理法人会様モーニングセミナー 那須丈雄講演 「見るということ」

金栄堂店長/スポーツグラスプロアドバイザーの那須丈雄です。

この度2014年2月26日(水)長井市倫理法人会様のモーニングセミナーにて

講師として皆様の前で私から「見るということ」というテーマで

皆様にお話をさせていただきました!



講演ではビデオが撮れませんでしたが、

その後講演をさせていただきました内容を聞きたいというお声を

多く頂きましたので、改めて動画を作成させていただきました。

講演でお話しさせていただきました内容をお話しさせていただいていりますので

講演させていただきました際の写真と合わせてご覧いただければと思います。



ご存知の方も多いとは思いますが、私で金栄堂の3代目になります。

今回は私から見るということについてお話をさせていただきたいと思います。

見るということ、人間には五感、視覚・味覚・嗅覚・聴覚・触覚というものがありますが、

日常生活の中でも8割の情報を眼から得ていると言われております。

そして見るという言葉は実際に物質などを見るということだけでなく、

先を見る、時代を見る、夢を見るとも見るという言葉は使われますし、

見分を高める、見識を高めるというのは

自己の成長過程にあっても見るということに対して使われます。

目標という言葉も、そこに行きつくための目印や水準という意味合いで使われており、

目標を見据えるという言葉もあります。

現実という言葉にも見るという言葉が入っていますね。

見るということは実際の目、そして心の目などを使って物だけでなく

色々なものを認識することをいうのだと思っております。

先ほどお話しさせていただきました言葉をはじめ色々な事柄に使われるように、

それだけ見るということは私たちにとって重要なことだと考えておりますし、

見るということは昔から様々な意味合いで使われますが、

どれも非常に密接に人に関わることだと思っております。

ですが中々見るということに対して意識をもって見るということをしていらっしゃる方は

おそらくそんなに多くはないのではないかと思います。

私も数年前までは仕事で見るという部分に大きく携わらせていただいておりますが、

見ることについての意識は

おそらくそんなに高いものではなかったのではないかと思います。

見るということは特に何も怪我や病気などがなければ

日常的に見るということを意識することは少ないと思いますが、

ではいざ見えなくなった、見れなくなった時、どうなるのか想像できますでしょうか。

突然見えなくなったとき、本当に何も出来なくなります。

実際に私はそういった経験をさせていただいております。






ここでいきなりではありますが、私は一度死んでいます(笑)。

一寸先は闇ということわざ、ちょっと用い方は違いますが、

ちょうど30の時で、おそらくご存知の方がいらっしゃるとは思いますが、

頭を打ち、その怪我で心肺停止したことがあります。

怪我を負った時、立ち上がった時は本当に真っ暗、

真っ暗というより真っ黒で本当に何も見えませんでした。

一度は真っ暗になった世界、その世界から目覚めた時、

今まで見えていなかったものが見えた時、

新しい世界が広がり、新しい人生がスタートしました。

あれから丸7年半が経ちました。

おそらく死を経験したことのある方というのは少ないとは思いますが、

今回はその時に見えたもの、

それを経験して見えたものをお話しさせていただきたいと思います。



まず簡単に私の経歴を申し上げますと、地元長井高等学校を卒業後、

東京のメガネの専門学校に2年通い、

その後東京の一等地の眼鏡店に就職し5年修行させていただきました。

その後25で長井に戻り金栄堂の3代目として金栄堂に入らせていただきました。

東京での修業時代は田園調布にお店があったこともあり、

冗談抜きで本当にすごいお金を使われるお客様が多かったですし、

当時そのお店では18金の眼鏡じゃなければ眼鏡じゃないと思うほどの景気の良さで、

1年で私だけでも300本の18金の眼鏡をご販売させていただき、

その会社の社長から大入りまで頂きました。

18金のメガネというとおそらく皆様もある程度想像がつくとは思いますが、

非常に高級なメガネで、当時私がご販売させていただいたものの中で

最も高額だったもので160万円のメガネをご販売させていただいたこともあります。

あくまで修行という形でしたのでこの長井に帰ってくることは決まっており、

当時本当に天狗になって帰ってきたのを覚えています。

ですが長井に帰ってきてお店に立つと、まったく今までのやり方、

自分が修業時代にしてきたことが通用しなかったです。

通用しないどころかあまりのひどさに、

社長、父に1年はとにかくおとなしくこっちでの仕事のやり方を覚えろと言われ、

社長や母が接客させていただく際に一緒について教えられた思い出があります。

帰ってきた当時天狗になっていたのもあり、その鼻をへしおられたのですから、

当然ここでの仕事が嫌になることもありました。

今まで見てきた社会から、まったく違う世界を見せられて

最初はこの地域を見るのも嫌になってしまったのが正直なところです。

ですがここに帰ってきて、このままでは自分の店ではなく

親父から借りた店になってしまう、

せっかく帰ってきたんだから自分のやりたいこと、

自分がしっかり考えて

この金栄堂を自分の店にしていこうという目標を立てて

奮起してやり始めたのがこの年でもあります。



ただもちろん同じことをしていては今後衰退していくだろうと、

自分のお客様というものを作っていかなければ

必ず行き詰まりになると思っておりましたので、

この人口が限られた地域でどうにか自分のお客様を作れないか色々考えました。

その当時コンタクトレンズがかなり売れていることもありましたし、

今後メガネというものがいらなくなるんじゃないか、

眼鏡業が成り立たないという時代が自分の時代に来るんじゃないかと

ずっと不安がありましたが、

今の形態では新しいお客様の獲得が出来ないのではないかとも思っておりました。

じゃあどうすればいいか、

そこで目を付けたものがスポーツ用メガネ・スポーツ用サングラスです。





当時イチロー選手がその先駆けだったと思いますが、

まだ当時はスポーツにメガネという認知はほとんどされておりませんでした。

ですがスポーツ選手というのは野球で言えば眼でボールを追ったり、

周囲の状況を眼で見て把握したりしている。

けれど眩しい時に目をしかめているのを見たり、

自分自身が眩しいと感じることがあったり、

きっとスポーツという分野であれば

まだまだ国内ではスポーツに眼鏡やサングラスという認識は少ないものの、

きっとこの分野で進めていけば

必ずしも度付きでなくともご注文いただけるのではないか、

もっと選手たちのお力になることが出来るのではないかと考え行動に移しました。

それがスポーツ用のメガネやサングラスを始めようと思った最初のきっかけです。

そしてはじめたはいいですが、

国内でまだ前述させていただきましたとおり

スポーツと眼鏡やサングラスというのがほとんど認知もされていなければ、

商品としてもそういったものがほとんどないというのが現状でした。

それだけでなくそういった丈夫なスポーツに耐えうるレンズの生地があっても

専用の切削機械がない。

そしてスポーツでメガネやサングラスに何を求められているのか全く知識がない。

そんな状態でした。

もちろんそれからは猛勉強もしましたし、

実際に使ってみないとわからないことから

自分でもレンズを車で踏んだり、何回踏みつければフレームが壊れるかなど、

とんでもない実験をしたりもしました。

そしてレンズを切削するのに専用の機械がないために

夜遅くまでレンズを砥石で削ってからハンドドリルを使用して形を作り、

その後紙やすりをかけてと

レンズ1枚、片方を作るのに3時間ほどかかったことなども珍しくなく、

当時ほとんど寝る時間もなかったように思います。

当時は仕事もこんな感じでしたし、

仕事以外にも商工会議所青年部様やJC青年会議所様、消防団にも

入らせていただいており、色々なことで多忙を極めておりました。

人間は緊張や集中しているとき、実際に見えている視界は狭まると言われています。

緊張もなにもしていない状態ですと

人間の視野は両目で180度の水平方向への視野があると言われておりますが、

そういった状態になった時、120度まで視野が狭まるそうです。

この時の私がまさにそういう状態で、いい意味で言えば前だけを見ている、

悪い言葉で言えば周りが見えてない状態でした。







そしてそうしているうちに起ったこと、

冒頭にお話しさせていただきました死を経験したこと、

忘れもしない2008年6月27日、私の第一の人生がここで終わりました。

ちなみに家族の誕生日でもあり、

最悪な誕生日プレゼントだったと今でも言われます(汗)。







その時商工会議所青年部の全国サッカー大会で

選手として出場させていただいておりましたが、

試合中相手選手と頭を2度同じところを接触し、

脳内出血し、急性硬膜下血腫という診断が下されました。

試合の前半戦で最初頭を打ったときは痛みはあったものの

大丈夫だろうという気持ちでおりました。

そして後半に入りプレーをしていおりましたが、

同じ場所を相手の肘と接触してしまい倒れ込みました。

倒れてすぐに起き上がりましたが、何故か目の前が真っ暗。

本当に何も見えないという状態でした。

でも友人や先輩の声、相手の声も全部聞こえる。

立ちあがったのはいいものの、少し吐き気を覚え、

少し休むねと言ってグラウンドに寝転がったところまで覚えています。

その後は意識がなくなりました。

当時ご一緒させていただきました方にお話を聞くと、

その後は口から泡を吹いて体が委縮してしまっていたそうです。

救急車で運ばれましたが、救急車の中で一度心肺停止したそうです。

この時苦しかっただろうと言われますが、正直倒れた直後からは全く覚えておりません。

気づいたら病院の中で酸素マスクをされ、

家族が皆私を見ていたのが目をやっと開けたのが2日後です。

そこから約1か月半入院して、仕事に復帰したのは2か月半ほどしてからでした。

倒れたのが6月末、そして12月までは経過観察も含め

完治まで約半年間の日数がかかりました。

今も少し右足がしびれてはおりますが、

もう日常生活は支障なく生活出来ており、

自分で申し上げるのもなんですが目立った後遺症もなく復活出来たのは

奇跡に近いと思っております。






倒れた時、俗にいう走馬灯というものを見ました。

よくテレビなどでやっているように一気に全ての記憶が駆け巡るというのではなく、

私の場合は忘れていたことも含め今まで自分がやってきたことを

別の自分が見ているという感じで走馬灯が流れました。

ああ、こういうことを自分がやっていたなとか、

その自分の行動を見てそっちにいくなとか、

こっちに行けとか叫んでいたのは覚えております。

お花畑は見えませんでしたが、亡くなった祖父に

そっちで呼んでるから戻れと言われて戻っているうちに目を開けたという感じでした。

その眼を開けた時一番最初に見えたのが家族でした。

皆が私のベッドの前に立って並んでおり、最初に出てきた思いが

酸素マスク等もつけておりましたので言葉にはなりませんでしたが

「ただいま」という思いでした。

最初に目を開けて飛び込んできたのが家族、

殺風景な病室の中で、家族の周りだけ温かい色に見えていたように思います。

この事故で今まできっとおざなりになっていたであろう、

見逃していただろう大切なことをもう一度見ることが出来ました。

この時に駆けつけてずっと見守ってくれていた家族を見て、

もう一度本当に今生き返ることが出来たことへの感謝が

出来たのではないかと思っております。

おかしな言い方かもしれませんが、

この事故が私の変われるきっかけとなり、

見ているものが変わったのだとも思います。

そしてその後の入院生活、外傷はなかったので特に何かの処置を施されたり、

点滴を打たれるということもなく、

ただただずっと眠くて眠くて、ずっと寝ておりました。

1日の中で最初の1週間ほどは1日2時間くらいしか起きている時間がなく

とにかく眠くて寝ておりました。

それだけ動いていないから当然なのかもしれませんが、

筋力が一気に落ち、体重も10kgちょっと落ちてしまいました。

そして2か月半ほど私が仕事を休んでしまったことで

仕事で実際に動けるのが父一人になってしまい、

そのストレスと激務のせいだと思いますが、

父も10kg近く体重が落ちてしまいました。

私が倒れたことでお店にお手伝いを頼んでもいましたが、

それでも父と母にはこの時は本当に迷惑をかけたのが目に見えて、

申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

目に見えて両親が一気に疲労がたまっていく様子もこの目で見ておりました。

その後退院して仕事に完全に復帰してからは、

今までの仕事の遅れを取り戻そうと、

そして両親に迷惑を掛けた分を取り戻そうと、

今まで以上に睡眠時間を削り、色々なことに取り組み、とにかく必死でした。

そしてそうやって無理がたたったのか、

ある日朝起きて家族に何か少し手首のとこブツブツしてるよと言われ

虫に刺されたのかな?と思っていた矢先に、

このブツブツが一気に全身に広がりました。

じんましんです。

あまりのかゆさと痛さにすぐに病院に行くとストレスだと診断され、

そこから1週間ほどまた仕事が出来なくなりました。

この時自分の限界ということを知ったのだと思います。

自分ひとりではどんなに頑張っても限界があることを、

このじんましんを見て知ることが出来たのはよかったとも今では思います。

体の内部で、目には見えないところで変調をきたしていたら、

いつかまた大事故につながっていたかもしれませんし、

自分の体を見ることの大切さをこの時また知ることが出来ました。






このじんましんがきっかけで自分の力には限界があることを知り、

途方に暮れて立ち止まっていた時期、ふと周りを見てみると

家族、そして友人、仲間、沢山の支援してくださる方がいてくださることに気づきました。

ずっと前ばかり、先ばかり見て周りがちゃんと見えていなかったのが、

ここで立ち止まったことで周りにある大切なことやものを改めて見ることが出来ました。

ここから自分というのもが変わり、人生が変わった。

命を一度落としたこともそうですが、

本当の意味での私の第2の人生のスタートが切れたと思います。


それまでは自分のやりたいように、自分が一番、自分がやらなければならない、

自分が自分が、という気持ちだったのではないかと思います。

自分が見たい場所しか見えていなかったのだと思います。

お客様に接客させていただきながら、

それまではお客様と一緒に目の前にあるものしか見ていなったとも思います。

私の商売はメガネ屋です。

もちろんその方の視力の矯正などが主務ではありますが、

商品を見るだけでなく、今あるものに感謝させていただきながら、

お客様とともに商品だけでなくその先にあるものを見ていかなければと

考え方を変えることが出来ました。

そこから今日現在この不況やデフレと言われる時代の中で、

この小さな眼鏡屋が世界のスポーツ選手や

トップアスリートたちにも使用していただけるようになりましたし、

お客様にわざわざ遠方からお越し頂いたり、

金栄堂でなければ、私から買わなければということで

ご注文を現在いただいております。

通信販売を含めてですが、とりあえず日本全国の都道府県は制覇出来ました(笑)。

海外からもご注文を頂けるようにまでなりました。

これは私一人の力で成し遂げられたことではないと思っております。

先ほどお話しさせていただきましたとおり、

私一人の力では限界を感じておりました。

ですがこの事故などで自分をちゃんと見ることが出来、

私の周りにいてくれた家族や友人、仲間たちが

支えてくれたからこそだと思っておりますし、

今あるものの大切さを見ることが出来たからこそ、

それらに感謝をすることが出来るようになりました。

今までは商品ありき、その商品をいかに販売するかということにばかり

目が行っておりましたが、

その後はお客様とその商品などを通じて

お客様が叶えたい夢や目標を一緒に見て、

適したアイテムを手にすることで

その目標や夢を実現出来るようにと

考えることが出来るようになったからだと思っております。






私にも夢があります。

そしてその夢を実現したいと、実現していかなければと思っております。

ですがただ夢だけを見ているだけでは、

夢はただ見ているだけのものになってしまうと思います。

それでは夢を実現するためには。


まず現実という言葉。

この現実という言葉にも見るという言葉が入っております。

現実という言葉は、今目の前に現れていることという意味合いで

国語辞典などにも書かれております。

現実、その言葉通り、今あるものをもう一度改めて見直すことで

今自分の置かれている場所が見えます。

今置かれている場所に感謝を忘れては次に進めないと思いますし、

私も今あること、現実、今あるものの大切さにこの事故をきっかけに気づかされ、

改めて今ある大切なものや大切なことを

しっかりと自分の目で見ることが出来ました。





そして夢。

この夢という文字の中には目という漢字が入っております。

メガネやサングラスを通して私自身夢を描いておりますし、

色々な方々に夢を見せれるものだと思っております。

ですが夢だけを追いかけていては

夢は本当にただ見ているだけのものになってしまうと私は考えております。

夢という文字は目という漢字を横に書きます。

そして先ほどの現実の漢字を入れ替えると実現という文字になります。

今あるもの、今現れているもの、

つまり今の現実をしっかりと見て、さらに夢を見る。

現実は今この場に現されているものであり、先にはあるものではありません。

ですがしっかりと今あるものの大切さに感謝して、

そして向きを変えて前を見てあげると実現という言葉に変わります。

どれが欠けてもこの実現という言葉には結びつきません。

夢だけ見ていては実現という言葉にはなりませんし、

今ある現実だけいくら見つめていても夢の実現にはなり得ません。

今あるものへの感謝を忘れず、そして夢を見て、それを実現する。

夢は見るだけでなく、それを実現していくこと、それが見るということだと思います。


私が仕事をさせていただいて実感していることのひとつに、

人間の視界、実際に見ているものを一変させることが出来る

唯一無二のものが眼鏡やサングラスだと感じております。

そしてこのメガネやサングラスというものを通して

多くの方々の夢の実現へのお手伝いが出来るものと確信しております。

私はこの見るということに対して、私のご提案させていただくメガネやサングラスで、

スポーツ選手たちにもっと活躍出来ると、

もっと多くの方々を幸せに出来ると、

そしてもっと夢を見せてあげることが出来ると思っております。

これからも今ここにあるものや、今自分がいる場所を見て、

それらに感謝し、

これからもっと多くの方々の笑顔が見れるように

色々なことにチャレンジしていきたいと思います。

皆様ももしよろしければお仕事場やご家庭に帰られた際に

見るということを意識して見ると、

今まで気づかなかったことや新しい何かが見えるかもしれませんので、

是非見るということを意識して見ていただければと思います。

見るものが変われば世界が変わる、

これは私自身の経験から断言出来ます。






夢はただ見るためだけのものじゃない、夢は実現するもの。

その実現する術のひとつが見るということだと思っておりますし、

先ほどお話しさせていただきましたとおり、

ただ漠然と見ているだけでは今を見失ったり、

本当に辿り着きたい目標を見逃してしまうかもしれません。

ですが見るということを意識して様々なことに目を向けてみると、

そこには今まで気づかなかった大切なものや、

新しいもの、新しい明るい世界が見いだせるかもしれません。

私もこの見るということを意識して、

この見るという仕事に携わらせていただいておりますことに感謝して、

自分の夢、そして皆様の目標や夢を形にしていけるように、

見るということの最終形・実現をしていけるように、

これからもしっかり頑張ってまいりたいと思います。











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